清水麓松 四季図一双
青木彌太郎著『郷土画家・画人名簿』や大垣市文教協会編『郷土大垣の輝く先人』などによると、麓松は文久3年(1863)に清水家宗家七代目当主である清水又市正晴(のちに将曹と改名)の息子直治郎の三男として生まれたことが記されている。清水進著『清水姓の歴史』によると、本名は龍男で、のちに昌造と改名して二代目将曹(直治郎の兄)の養子になり、その後画家を志し四条派の画家幸野楳嶺に師事。破門されるが、飛騨古川に滞在して多くの作品を残したことが分かる。彼の作品には、第2回パリ日本美術総覧会に出品した「狙公」や多くの花鳥画がある。