蓑虫山人 蓮遊鯉図
紙本淡彩 137.3×68.0 (本紙)
放浪の画人蓑虫山人は、天保7年(1836)美濃国(岐阜県)安八郡結村に生まれる。本名は土岐源吾。
生活用具一式を背負い、九州・中国・近畿・東海・関東を経て、明治10年(1877)北奥羽地方へ及びました。また考古学に対してはとくに深い関心を抱き、多くの遺物を収集しつつ、明治20年(1887)には木造町亀ヶ岡遺跡の発掘調査を手がけています。諸国歴遊の旅を終えた後は、名古屋市長母寺に永眠
明治33年(1900)享年65歳。
蓑虫山人 蓮遊鯉図
紙本淡彩 137.3×68.0 (本紙)
放浪の画人蓑虫山人は、天保7年(1836)美濃国(岐阜県)安八郡結村に生まれる。本名は土岐源吾。
生活用具一式を背負い、九州・中国・近畿・東海・関東を経て、明治10年(1877)北奥羽地方へ及びました。また考古学に対してはとくに深い関心を抱き、多くの遺物を収集しつつ、明治20年(1887)には木造町亀ヶ岡遺跡の発掘調査を手がけています。諸国歴遊の旅を終えた後は、名古屋市長母寺に永眠
明治33年(1900)享年65歳。