温故焼 清水温故(大垣)金彩急須 径6.6×高5.8
君子之清會 春荘写 四君子図(竹・蘭・梅・菊)
四君子(しくんし)とは、蘭、竹、菊、梅の4種を、草木の中の君子として称えた
言葉。また、それらを全て使った図柄、模様。 本来、中国語で君子は徳と学識、礼儀を備えた人を指し、文人はみな君子になることを目指した。蘭、竹、菊、梅の4種の植物がもつ特長が、まさに君子の特性と似ていることから、文人画の代表的な素材にもなった。
温故焼は赤坂宿を交通する大名行列や旅人たちに支えられて発達しました 。
初代窯元清水温故は名を平七といい 、幼児から叔父孫六の楽焼についき天保10年16歳京都に赴き、清水焼、粟田焼の門を訪ね、さらに備前伊部焼、伊勢萬古焼など広く全国の窯業家を訪い修行を重ね、瀬戸赤津の春岱に師事し、今尾藩の御用窯を譲られて魁翠園焼に携わり、のち郷里に帰り他に類例のない素材と作風に独創の境地を開拓しました。
その製法には捻り、轆轤、型作りなどがあり、茶器の他に酒器(徳利、盃)花瓶、香炉、壺、碗、皿、水注、菓子器、陶面など多彩に及んでいます。
1878年パリ(フランス)で開かれた第8回万国博覧会に出品した温故焼は、その独特の芸風を高く評価され名誉賞を受賞 、ついで1893年第10回シカゴアメリカ万国博覧会に出品し銅賞を受賞して広く海外にも認められました。
中山道赤坂宿に生まれた平七(初代温故)は金生山の赤土と勝山の白土を素材として中国古陶の『朱泥』の味を再現し、その独創により釉薬を用いず素地の持ち味を生かし薄銀茶褐色の生地に金銀絵の具の色彩模様を描き、雅味豊かな作品を完成させます。